株式会社 多摩設計

    
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川崎に今も息づく「大島劇場」

 

数名から数十名の一座が剣劇や股旅物を演じる「大衆演劇」数名から数十名の一座が剣劇や股旅物を演じる「大衆演劇」てきた。テレビの普及により、その多くは姿を消していったが、全国に残る数少ない大衆劇場のひとつとして今も演劇を披露全国に残る数少ない大衆劇場のひとつとして今も演劇を披露(日時連20157月号「我がまちの芝居小屋」掲載) 

 

父が設計した大島劇場

 

川崎は私が生まれ育った「我が町」です。父・岩田丈一は昭和の初めに川崎の地で「岩田建築士事務所」を創設しました。現在その後を継いでいるのは弟の岩田敦です。私は父に勧められ、昭和41年に多摩建築設計事務所(現・多摩設計)を創設しました。

「大島劇場」を設計した父は本来社寺建築を得意とする建築士でした。戦後の焼け野原で住宅をはじめとする木造建築の需要が高まり、地域の大工さんの依頼を受け確認申請の仕事に追われていました。終戦翌年の昭和21年から昭和4445年にかけてのことです。同時に、大衆浴場も多く建設され、正面の唐破風庇を備えた浴場をずいぶん設計しました。今でもその図面が残っています。

大島劇場の建物由来は、現在のオーナーに聞いても定かではありません。そこで、オーナーより渡された資料を見ると、川崎大島劇場の柿落としは昭和251950)年。表通りの立派な芝居小屋だったが、区画整理による道路拡張に伴い、1年後、通りを一筋入った現在地に移転した」(『晴れ姿!旅役者街道』橋本正樹著、現代書館、以下橋本本というとあります。私の父が当時のオーナーより依頼を受けたのが)昭和41年頃ですから、上記の移転より15年経っています。老朽化か規模拡大のためかはわかりませんが、住居地域での劇場(特殊建築物)の建築は公聴会を経る必要があり、昭和42330日付けで確認が下りています。


特需景気で働き詰めの労働者が通った劇場

 

この大島劇場のオーナーである、主宰者は現在で3代目です。初代は現在の方の祖母の姉にあたる方で、「女剣劇のスーパースターだった2代目・大江美智子劇団の用務や、戦時中は映画スターの佐野周二(関口宏の父)の満州慰問公演に同行するなど、いわば興行のプロであった」(橋本本)とあります。その方に子どもがなく、養子を取りました。その養子の奥様が現在のオーナーの祖母にあたります。したがって正式には現在で4代目ということになります。いずれも全部女性が劇場を切り盛りしてきました。経営は非常に厳しく、専業ではとても食べて行けず、代々、男が働き、一方で奥さんが経営をするとのことでした。昭和25年から30年までは朝鮮戦争による特需景気で、何しろこの5年間で日本は36億ドルの経済効果があったと記されています。川崎は臨海部に工場地帯を抱え、その当時の空は常に茶色だったと記憶しております。こうした特需景気とも無縁とは言えません。一日中働き詰めの工場労働者が夜の楽しみとして大島劇場へ通ったことでしょう。再建築にあたり父は唐破風の伝統的な小屋よりも、現代的なパラペットスタイルの物を考えたのではないかと思っております。予算的なものもあったでしょうし……。

当時の図面を見ると客席は木造の洋組トラス、舞台部分は軽量鉄骨構造で小屋組みはトラス梁を採用しています。また、客席は座敷型式で座布団(100円)を貸し出す仕組みです。

満席で150人収容です。床は劇団の意見も取り入れ、舞台に向かって軽い傾斜をつけています。

 

数少ない貴重な大衆劇場

 

「かつては川崎市だけでも大衆演劇場はかなりの数あった。それが現在、東京大衆演劇場協会に所属しているのは大島劇場を除いて木馬館大衆劇場(浅草)、篠原演芸場(十条)、立川大衆劇場(立川)の3カ所。全国的にも20数カ所しかなく、川崎市に唯一残る大島劇場は希少な存在となっている」(『多摩人』№29 2008秋号)。取材をした折に居合わせた劇団座長の南條駒三郎氏は「住宅街での劇場運営は大変です。でも、オーナーに頑張って続けていただかないと劇団は困る」と言っていました。

前述のとおり、とにかく劇場が少ないのが現実です。肝心のお客さまといえば、やはり市内近隣の常連の方々です。たまに、遠くからの方もいるようですが、割合からいえば少数派のようです。神武景気、岩戸景気そしてバブルと景気の良い時は、客は千円札をレイにしたり、万札を割り箸に挟んだりして客席から役者へ贈ったりしたようですが、今それはないとのことでした。

竣工から47年が経ち、建物もかなり老朽化しています。オーナーは近隣住民への気配りも欠かさず、周辺道路の掃除から、防火対策はもちろん、館内の鼠駆除まで大変のようです。現在は毎月一劇団の公演があり、平日は夜、土日祝日は昼夜2回公演です。

昔は劇場内で団員は寝泊りしたようですが、今は近くのアパートを借りているそうです。また、最近の若い団員は車を所有しているので、駐車場の確保にもオーナーは苦労をしています。オーナーには近くに娘さん(5代目?)が居り、まだまだ頑張ってもらいたいと思います。私も、父が残したこの大島劇場を弟と共に見守り、今後もオーナーの相談に乗っていければと思っています。


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